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Picturs Remain The Same

08.09.23夕の ’ステッペンウルフ’

投稿日時:2008/09/23(火) 16:55

08.09.23夕の ’ステッペンウルフ’


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彼岸の中日なので、墓参した。
塔婆の代金支払いもあったし、
その際に 彼岸法要での焼香もできる。
本音のところは、
入り9/20に墓へ供えた花の交換にある。
枯れた花のままを、
親戚中に見られたら みっともないという気持ちの方が
先にたっている。

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雨でもないのに ’ミミ’は来なかった。
’キキ’ と一緒に生んで、
早期に死んでしまった(らしい)子供の供養をしているのだろうか・・・

・・・ ・・・ ンなぁこたぁナイ    ・・・たぶん

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ひろ さちや氏の著作によれば・・・
仏教に於いては、
あの世が在ると述べられていないし
無いとも述べられておらず

ただ 「わからない」 とだけなのだそうだ。
以下は 私なりの解釈だが
修行目的の一つには、その妄想の払拭もあるらしい。
私を含む俗人は、その「わからない」ことに拘泥する。
「わからない」ことに拘泥するのは忌避すべき事柄ではなくて、
むしろ それこそが人間を人間たらしめる証なのだそうだ。
木や金物などで作られた像を拝む行為は、
人間だからこそする行為なのだそうだ。
愛し 憎むのも、人間である証なのだそうだ。

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社会生活を営む中で、
問われたことに対して 「わかりません」と返答するのに
勇気が必要な場面が多々ある。

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